
絵日記以外の日記4冊の中で一番古いものは1938年に書かれています。
表紙には「北支出征日誌第二巻」とあり、残念なことに第一巻は残されていません。
その第二巻は1938年8月15日から始まっています。
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八月十五日 月
昨十四日が昨年の内地出発の日であった。今日が第二年目の第一日だ。
天気は晴れて秋気稍表わる、だ。極めて平穏なる午前だ。ゆっくり満洲日々を読む。
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1933年に予備役になった曽祖父が応召されたのは、兵籍簿によると1937年7月31日でした。
1937年8月14日に日本を出発したという日記の記述と辻褄が合います。
「北支出征日誌第一巻」があったとすれば、1937年8月からの記録だったのでしょう。
応召の理由は時期からして7月7日に起きた盧溝橋事件の影響と考えられます。
兵籍簿を見ていくと、8月20日には「北支派遣ノ為宇品港出発」し、22日に釜山港から上陸、9月22日に北京に到着していました。
日にちに多少の誤差がありますが、おおよその動きに間違いはないと思われます。
穏やかな1日目から始まった日記ですが、3日後には戦地にいたことを感じさせる記述がありました。
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八月十八日 木
朝から随分暑い。体が少し肥り出して来た。秋の気節に入ったのだろう。早くもう少し涼しくなってくれればよい。
(中略)
西大佐匪賊に襲わる
西大佐は匪賊に襲はれ商務会長等拉致さる。二、三日前大佐警備に就て我輩意見を云うて強化すべきであるを・・・
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曽祖父は兵站部隊だったので戦闘からは離れたところにいたはずですが、所々にこうした出来事がありました。
淡々と書かれているからこそ戦地にいたんだなと感じられます。
戦争というと1941年からのアジア・太平洋戦争の開戦を想起しますが、1937年7月から中国への戦争は始まっていました。
曽祖父はどの時点で自分も行くことになると想定していたのか、そして軍人の家族は早くから戦争を近くに感じていたのか、それとも軍人の家族だからこそそういうことに慣れがあったのか。
日記を読むほどに知りたいこと、聞きたいことが次から次と出てきます。