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小林こずえ

25年も「戦争展」をやってきたけれど…祖父が収容所で作ったという麻雀牌で、初めて<私>と戦争がつながった

昭和のくらし博物館で、毎年”戦争展”をつくってきた。全国から寄せられた資料には一つ一つドラマがある。「伝えなくては」と真剣に取り組んでいた、つもりだった。数年前、自分の祖父が戦後に抑留されていたビルマで作ったという麻雀牌を伯父に見せてもらい、衝撃を受けた。収容所では芝居を上演し、小道具の刀なども作っていたらしい。そして、なんとマンドリンも作って持ち帰っていたと聞き、驚いた。祖父は大工だったので器用には違いないが、音楽や芸術には縁のない全くの市井の職人だと思っていたからだ。敗戦直後の収容所でなぜそんなものを作れたのか。若き日の祖父は、どんな思いで復員船で麻雀牌とマンドリンを抱えて帰って来たのか。全国のどこかにまだ残っているものがあるではないか。極限状態の中で、生きる糧とは何か。夢中になって祖父の足跡をたどっていくうちに、色々な事と出会った。抑留、収容所、激戦、復員、という言葉が初めて実世界のものとなった。長年”戦争”を追っていたつもりだったのに。

小林こずえ

昭和のくらし博物館学芸員

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