Skip to content
松田牧恵

「あの夜のことを覚えているかい」
と祖父は言った。ふと漏らしたその言葉を、30年後の今、きちんと受けとるために話を聞きに行こう。

母の最初の記憶。
それは1945年7月12日、宇都宮大空襲の夜である。

そのとき母は3歳になったばかり。わたしはこの話を何度も聞きながら大きくなった。もちろん戦争前後の他の話もたくさん聞いた。祖母の話、暮らしの話、食べ物の話、そのとき子どもとしてどんな気持ちだったか。くりかえし語られるエピソードはくりかえし語られる中で、物語になっていった。
私が30歳の頃だから、昭和が終わって時代は平成、世紀の変わり目あたり。祖父と新幹線に乗っていて、なぜか戦争の話になった。降り際に祖父はふと、「おまえはあの夜を覚えているかい?」と私に聞いてきた。大空襲のことである。一瞬、わたしを母と取り違えたのだ。祖父はすぐに気づき、「いやぁ、ごめんごめん。勘違いしちゃったよ」と、笑いながら恥ずかしがった。でも、その時私は、「そうだ、わたしは覚えている」と感じた。くりかえし聞いた話が、自分の記憶にも染みていた。そして、あの夜を覚えている者としての責任のようなものを感じた。
今年の4月、昭和の暮らし博物館で「わたしと戦争」という自由研究の話を聞いた。四半世紀前の宿題に取り組むときが来たと感じ、こうしてあの夜への旅がはじまった。

松田牧恵

エクスプランテスタッフ

Back To Top