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日本にとっていつから先の戦争が始まったのか、どこと何年戦争をしていたのか、私はすぐ迷子になってしまいます。
これを読んでいる皆さんはいかがでしょう。

12月8日は開戦記念日(奇しくもジョン・レノンの命日ですね)になっていますね。これは1941年12月8日の「真珠湾(パール・ハーバー)攻撃」の日。
ここから日本は第二次世界大戦に参戦し、いわゆる「太平洋戦争」が始まったのですが、すでにその前、1929年の世界恐慌のあたりから日本はじわじわ戦争に足を踏み込みつつありました。
「岩波茂雄 リベラル・ナショナリストの肖像」(中島岳志・岩波書店)を読んでいると、その「じわじわ」がどのように出版界、言論界に押し寄せてきたのかがよくわかり、正直怖くなってきます。

1931年9月には満州事変勃発
1932年5月15日には、当時の首相、犬養毅が暗殺されます。軍部のコントロールが効かなくなり、政党政治が事実上終わります。
1933年には国際連盟が満州国の不承認を採択したことから、国際連盟を脱退します。このときの採決は不承認に賛成42ヵ国・反対1ヵ国(日本だけ)・棄権1。
ちなみに、私の亡き父は昭和8年、まさにこの年の生まれです。敗戦のときは小学生でした。

1936年 二・二六事件
1937年7月7日 盧溝橋事件・日中戦争勃発

書名にもある通り、中島岳志氏が描き出す岩波茂雄は、明治天皇を崇拝するナショナリストであり、反帝国主義かつアジア主義者です。
同時に国民主権と(天皇のもとでの)平等、言論の自由と広い教養に基づいた活発な議論こそが国を利すると考えていました(おそらくこのへんがリベラル)。
だからこそ、マルクス主義関連の古典も出版すれば吉田松陰全集も出し、日中親善を重要視しして中国の知識人や留学生を支援しました。
しかし岩波書店の出版物と執筆者は言論統制のターゲットになり、絶版や休刊を余儀なくされるようになっていきます。

そんななか、1937年から38年にかけて進められていたのが、「岩波新書」の出版企画でした。
中島岳志氏は「岩波新書は日中戦争へのリアクションとして創刊された。岩波は、日本の帝国主義を牽制し、世界を蹂躙するような暴虐を働いてはならないと警告した。」と書いています。岩波茂雄は岩波新書の創刊を周囲に「僕の愛国運動」と言っていたようです。

企画には吉野源三郎や三木清が関わり、「中国を理解するに役立つものをたくさん入れよう」としました。
岩波新書の第一弾は、満州の人々のために献身的に奉仕したスコットランド人の伝道医師クリスティの自伝「奉天三十年(上・下)」(矢内原忠雄訳)でした。

これは岩波茂雄を敵視する国粋主義者・蓑田胸喜をはなはだしく刺激し(「論敵」なんでしょうかね? この人の文章を読むと、私は攻撃的なネットの文章を思い浮かべてしまいます。人間の攻撃欲とその表現形って、時代が違ってもあまり変わらないのかもしれません)、岩波新書はもちろん岩波書店の出版物や著者への攻撃は激化することになりました。

もうひとつ、この時期に岩波茂雄が発表した文章や書簡をまとめた「岩波茂雄文集2 1936−1941年」(岩波書店)を合わせて読むと、岩波は狭量な思考や“島国根性”を超えるための学問分野として、自然科学を重視していたことがわかります。
1940年には私財を投じて基礎科学を研究する若手研究者支援財団「風樹会」を設立しています。

「岩波新書を刊行するに際して」という文章には、以下のような記述があります。

「岩波新書の企図するところは、学究的立場を離れ古典の制限を脱し、今日この時代に生くる人々の要求により自由に即応しつつ、現代人の一般教養に資するべき良書を、時代の流れに従って提供していくことにある。(中略)一般読書人が最も寛いだ気持ちを以って学芸に親しみ、それぞれの専門以外の領域にも広く理解と関心を抱くに至ることこそ、この新書に期待するところである。」(岩波茂雄文集2 1936−1941年 より)

ちなみに、「岩波茂雄文集2」には同じタイトルでAとBの2つのバージョンが収録されており、これはBから引用しました。
岩波書店公式サイト 「岩波新書 創刊のころ(1938年11月20日)」を見ると、岩波新書「奉天三十年(上・下)」に掲載された「創刊の辞」はより長いAバージョンのようです。
詳しくは原著にあたっていただけると幸いです。歯に衣着せぬ文章で、“島国根性”批判も出てきます。
「岩波茂雄文集2」になぜ二つのバージョンが収録されているのかはよくわかりません。もしかしたら、途中から攻撃の激しさに閉口してより穏健な表現のものに差し替えたのかもしれないですね。

第一回刊行の20冊は以下のラインナップです(岩波書店公式サイト 岩波新書 創刊のころ(1938年11月20日)より)

『奉天三十年(上・下)』クリスティ/矢内原忠雄 訳
『支那思想と日本』津田左右吉
『天災と国防』寺田寅彦
『万葉秀歌(上・下)』斎藤茂吉
『家計の数学』小倉金之助
『雪』中谷宇吉郎
『世界諸民族経済戦夜話』白柳秀湖
『人生論』武者小路実篤
『ドイツ 戦歿学生の手紙』ヴィットコップ/高橋健二 訳
『神秘な宇宙』ジーンズ/鈴木敬信
『科学史と新ヒューマニズム』サートン・森島恒雄 訳
『ベートーヴェン』長谷川千秋
『森鴎外 妻への手紙』小堀杏奴 編
『荊棘の冠』里見 弴
『瘤』山本有三
『春泥・花冷え』久保田万太郎
『薔薇』横光利一
『抒情歌』川端康成

私の大好きな中谷宇吉郎の「雪」はこのとき刊行されたのか〜。感慨深いです。

戦局の悪化とともに激化する弾圧に遭いながらも、1944年までに98冊を刊行することができたと「岩波新書 創刊のころ(1938年11月20日)」にはあります。
「生命と物質」もその一冊だったわけです。1940年発行で、通しのノンブルが66ということは、戦争中にこのあとに32冊が刊行されていることになります。

1942年以降、編集者や新聞記者が治安維持法によって逮捕され、雑誌の廃刊や版元の解散が強いられるようになりました。
典型的なフレームアップによる「横浜事件」が有名ですが、拷問による死者や獄死者まで出る言論弾圧が続きます。

1945年5月には岩波の娘婿である小林勇が検挙され連行されます。
「小林は、毎日のように竹刀で殴られた。岩波新書が反国家的方針で編集してきたとの供述を強いられたが、断固として拒絶した」(岩波茂雄 リベラル・ナショナリストの肖像 より)

終戦の約3か月前のことでした。

「生命と物質」の持ち主K・Oさんは、そのころ藤枝の航空隊基地にいたのではないでしょうか。

 

萩谷美也子
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