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写真は曽祖父が1942年に現在のミャンマーで書いた絵日記です。A5サイズより縦がやや小さめ、横が大きめの大学ノートに書かれています。
私は母方の祖母をはじめ、銃後の戦争体験については肉親から聞くことができたのですが、戦地に行った肉親からは戦争体験を聞いたことがありません。
この絵日記の存在を知ったのは、今から十年以上前のことです。
曽祖父が軍人だったことは、子どもの頃に聞いていましたが、自分が生まれる前に亡くなっていて「軍人」という言葉も身近になく、具体的なイメージができませんでした。ただ、だからこそ「ひいおじいちゃんは軍人だったんだ」ということは記憶に残りました。
絵日記を入手した頃、ちょうど通信制大学で学んでいたので、日本近代史の先生にお話したところ、兵籍簿を取り寄せることを勧められました。また絵日記は原稿用紙に原文と同じように改行しながら、わからないところは空欄にしておけば、何度も読んでいるうちに見えてきて埋めていけるというアドバイスもいただきました。
電話で役所に問い合わせたり、必要な書類を提出して届いた兵籍簿は、複写されたものである上に手書きで、判読が難しいところが多くありました。原稿用紙を並べて頑張った絵日記も、読み解きが隅々までは至らないままで、どちらも眠らせかけていました。
それを目覚めさせてくれたのは、数年前、やはり日記の存在でした。大叔母が新たな日記が出てきたと連絡をくれたのです。
前後して、治安維持法の犠牲者である旭川在住の菱谷良一さんの自伝製作に関わらせていただくことになり、私は菱谷さんが戦前戦中に記した日記のデータ化を担当しました。
菱谷さんは1941年に旭川師範学校で起きた「生活図画事件」の当事者のお一人です。その菱谷さんの日記を読み解くという体験はそれ自体が大変貴重なものになりましたし、その経験によって大正以前に生まれた方の書き言葉や漢字の使い方、リズムに慣れることができました。慣れてくると、近代史の先生がおっしゃっていたように、最初は読めなかった文字たちが不思議とわかるようになっていきました。
新たに出てきた曽祖父の日記は1938年に書かれた1冊と1941年から1943年に書かれた3冊の計4冊で(絵日記は1942年に書かれたものと同時期に並行して記されたことがわかりました。)その日の仕事内容や訪問者などの業務記録的なことを中心に、家族や故郷のこと、体調や前の晩に見た夢のこと、といった私的な事柄にも触れていました。大人たちから聞いてきた曽祖父は架空の物語の登場人物に近いものでしたが、日記から受け取れる曾
祖父の印象は自分と重なるところが多く、「ひいおじいちゃん」としてはもちろんですが、一人の人間として親近感が湧いてきました。
日記を辿ることで、曾祖父が戦地で何を見て何を感じていたのかを少しでも知れたらと思います。