聴き書き 篠﨑純子
2026年7月5日
戦争の終わる頃、私は鷺ノ宮駅の近くの郵便局に勤めていた。
郵便局の近くに憲兵の教練所があって、地方からも教練所に男の人達が来ていた。当時の郵便事情は悪くて、郵便局で扱う葉書は、一日に20枚か30枚しかなかった。地方から教練所に来ていた人達は、ふるさとに葉書を出したいのだけれど、すぐ売り切れてしまうので、局長がとっておいてあげていた。
憲兵は、人が少しばかり集まってもすぐに飛んできて人を散らしていた。おしゃべりするのもダメだし、笑うのもダメだった。
駅でも家でも、灯りには黒い布がかけられていて、電球の真下しか照らせなかった。なので街全体が暗かった。
食べ物は薩摩芋か南瓜ばかりだったので、体が黄色くなっていたと思う。
ここらへんでも空襲はあって、うちにも焼夷弾が落ちた。うちの敷地は芝生だったので、焼夷弾が落ちると芝生が燃えて、父が芝生を叩いて火を消し止めていたのをよく覚えている。もう処分したけれど、こんな直径(両手のひらを輪にして)で、こんな長さ(肩幅くらい)の焼夷弾の燃え残りが、ずいぶん沢山残っていた。
今デニーズがあるあたりに、「イキさん」の家があった。藁屋根だったから、焼夷弾が落ちると屋根が燃えてしまう。みんな兵隊に取られて男の人がいなくて、イキさんの奥さんは藁屋根にはしごをかけて焼夷弾の火を消そうとしたけれど、屋根から落ちて骨折してしまった。
8月15日は、正午に玉音放送があった。音が悪くて何を言っているか分からなかったけれど、戦争が終わった事はわかった。局長は、放送の前から多分知っていたと思うし、地方から来た憲兵が「地元に帰る」と挨拶しに来る事が多くなっていたので、私も薄々戦争が終わりに向かっているのは感じていた。
8月15日に戦争が終わると、灯りにかけられた黒い布がはずされて、駅にも街にも灯りがともった。人が集まってもいいし、話してもいいし、歌ってもいいし、笑ってもいいし、憲兵はもう飛んで来ないし。
あの日を境に一気に世界が明るくなった。本当に、それまでの暗い暗い世界から、ぱあっと明るい世界になって、私はその落差の大きさに本当にびっくりしていた。