
新生活の糧を日本に求め、新妻と共に玄界灘を渡った祖父
あれから間も無く百年
そんな家族の物語をつづってみようと思う
次男坊だった父方の祖父(1905年生)が一旗あげようと生まれ故郷の慶尚北道・蜜陽から地方都市の大邱に上って来たのは20歳の頃。それからまもなく祖母と出会った。良家の娘の彼女との結婚には大きな障壁が立ちはだかった。猛反対を押し切っての結婚だった。奥に乗って嫁に来た彼女は輝いていた。新しい生活のスタート。彼はその糧を求めて玄界灘を渡ることにした。
慶尚北道・金泉郡に一人息子が三代続いた家があった。一人息子が三代続くということは頼るべき親族がいないということ。家社会の朝鮮では心細いことでもあった。母方の祖母(1897年生)は、そんな三代目に嫁いだ。祖父は祖父が10歳の頃に亡くなり、女手一つで家を守ってきた曽祖母は厳しい人だった。
両班(貴族)と重んじられていた封建制度が崩壊し、日本の植民地統治のもと土地も奪われ、一家は生きるを求めて日本に渡った。
※事実に基づいたフィクションです
金淑子(キム スッチャ)
在日朝鮮人3世
東国大学大学院(ソウル)修士課程卒業
隔月誌『朝鮮学校のある風景』(1~56号)を金日宇と発行
共著『ポッタリ一つで海を越えて』(合同出版)など