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これが、昭和のくらし博物館に託された昭和15年(1940年)5月初版発行、昭和16年(1941年)9月二刷の岩波新書「生命と物質」の扉ページです。

古い本独特の匂いがしますが、長い年月を経ても意外にページはきれいです。
横書きが右から左なのが時代を感じさせますね。扉の四隅に描かれているのはギリシャ神話の風の神、北風(Boreas)、南風(Notos)、東風(Euros)、西風(Zephyros)です。現在の新赤版の扉にも描かれていますが、ここにある絵とは微妙に違うので、ご興味のある方は比べてみてください。

岩波新書は、昭和13年(1938年)11月に創刊されました。最初のシリーズは赤い表紙の通商「赤版」」です。創刊を担当したのは吉野源三郎。あの「君たちはどう生きるか」を書いた人です。

赤版は戦争による一時中断(このあたり気になりますね)を経て101冊が刊行されたそうです。
扉に66のノンブルがありますから、創刊1年半後には66冊目を出版していたわけで、かなりのハイペースです。

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「生命と物質」の著者、服部静夫についても調べてみました。以下のような略歴です。

明治35年2月22日東京生れ。昭和45年4月17日歿。
大正14年東京帝国大学理学部植物学科卒。昭和19年同大教授。
主に植物色素の研究に当たる。昭和30年日本植物学会会長。

お父さんは大正期の歌人・国文学者の服部躬治、叔母は小説家の水野仙子、弟は歌人の服部直人という、思いっきり文学者一族の中の理系です。たぶんちょっとした変わり種だったのでしょう。

明治35年は1902年ですから、昭和16年(1941年)には39歳。まだ東京帝国大学の助教授でした。
昭和11年(1936年)には、岩波書店から「植物色素」という本を出しており、当時新進気鋭の植物学者であったと思われます。

ちなみに残されたメモによると、久ヶ原にお住まいでふらりと当館を訪れたという、寄贈者のO・Mさんは1924年生まれ。軍人の家系出身で、歳の離れたお兄さんがいて、昭和16年には15歳だったはず。どういった経緯で、この岩波新書「生命と物質」を所有することになったのか、想像はふくらむばかりです。

萩谷美也子
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